ネットで文章書くなら言っておかねばならんのじゃないかと思った話

病院の順番待ち中に突然ふと思ったことなんですけどね。冷めないうちにというか、忘れないうちに書いておこうかと思います。勢いで書くので、わけのわからん駄文になるかと思いますが…ま、とりあえず今は書き上げてアップすることが大事そうなので。数日して冷静になってから必要があれば手直ししますね。

主張をする気が起きない

最近、論評とか主張とか言った類のエントリをほぼ書いてないということに改めて気付きました。ニュースに対するちょっとしたコメントぐらいははてブでやってますけどね。「改めて」というのはつまり、それに気付いていたのに気付いていないふりをしていた、無意識に抑制していた、ということなんですが。
全く書こうという気が起きなかった訳ではないです。生きてりゃ思うこともある訳で、本を読めばそりゃあまた思うこともある訳で。書こうかなと思っても、キーボードを叩く前にやめてしまう理由があったわけです。その理由とは、「自分の主張に穴があるんじゃないか」という警戒心だったのではないか、という気がします。

足かせ

この穴ってのは不勉強から来る勘違い発言などではなくて、過去の自分の考えとの矛盾のことを意味します。
エントリを書きます。そのエントリは、ほとんど永久的にネットに残り続け、過去に私が言ったことだとしてもう取り消せません。そんなことを忘れ、ある日エントリを書く。すると、「前言ったことと矛盾してんぞこのタコ!反省しろ!」と誰かに怒られそうな恐さが…ありません?ありませんか?ま、私だけならいいんですけど。よかった!こんなことで悩んでる人他にいなかったんだ!っていい話で済みますからね。
この恐さを取り除かないとどうなるか。まず、以前自分の書いたことが思考の足かせになります。なにかに気付いても、「あ、でも昔の俺はあんなこと言ってたよな…。それと矛盾しちゃうこの考えはイケナイ考えなんじゃないか?」なんて思うようになります。古い考えと新しい考えがマッシュアップされてより新しい考えになるのならばそれでいい。それが理想ですし、そうなることもあります。でも、自分の体験で言うならば、最終的には「新しい考えは誤りだった」として捨て去ってしまうことが多いような気がします。記事を書く時って更に深くその考えについて思考を巡らせるものですから、その過程が取りさらわれてしまうことの弊害ではないかという考え方もできますね。
さっき言ったように、これ、ほとんど無意識にやっちゃうんですよ。これが恐い。無意識のうちに思考が過去の自分の考えに囚われ、保守的になり、自分の世界を広げることができなくなっていきます。
多分私、ちょっと強い言葉で主張をしがちなので、一層この無意識の縛りが強いんだと思います。新しい視点に気が付いても、「あー昔あんなこと強く言っちゃったし、あれで傷ついた人もいるんだろうな…それでいて正反対に取れる意見とか言っちゃったら、なんか悪いなぁ…」みたいな。
だから、私はこの足かせを外すために、言っておかねばならないことがあります。

宣言!

私の主義主張なんてコロコロ変わりますよ!言い訳じゃあないですが、まだまだ私はガキんちょです。大学も出ちゃいないですし、主張する分野に関しても素人かせいぜい素人に毛が生えた程度のものばかりのはずです。まだ何のプロフェッショナルとも名乗れるような人間ではないですから。

宣言の副作用

とまぁ、こんなことを書くと「主義主張をコロコロ変えるやつなんか信用できない!」とか「そんなやつの意見はゴミだ!」とか「クソだ!」とか「産廃以下だ!」とかとか思われてしまうかも知れません。でもねー、そうなのかなぁ?
新しい視点を見つけたら意見が変わってくるのは当たり前でしょう?自分の根本を支えてる大きな信念、それをガツンと揺るがすような鳥肌の立つような新しい何かに出会った時に、自分の信念を優先して変わることを拒否するのは、正しいのかな?
とりあえず80才になるくらいまでは、主義主張の変わりがちな人を目指してみようかな。
いやぁもちろん、この考えも数ヶ月すりゃ変わっているでしょうけどね。てへ。