「かわいい〜☆」が口癖の貴女に読ませたい。「へうげもの」#1〜#3

へうげもの(1) (モーニング KC) へうげもの(2) (モーニング KC) へうげもの(3) (モーニング KC)
今夜店に訪れた8名の女性たち。どうやら『ドキッ☆女だらけのクリスマスパーティー 〜ポロリ*1もあるよ〜』といった趣向であるらしく、必要以上にわいわいと盛り上がりながらプレゼント交換を始めた。8人にランダムに行き渡ったプレゼントを、順番に開封してゆく女性たち。一つ開けるたび皆一様に大喜びするのだが…

「きゃー!かーわーいーいー☆」
「なにこれ!ちょーかわいい!」
「かわいいー!これいいね!かわいいー!!」
「ほら!こことか!こことかちょーかわいー!!!」

まさに"皆、一様に"、「かわいい」としか言わないのである。「かわいい」の大合唱、これは一体どうしたものか。
日本語には、もっと色鮮やかな、数多の表現がある。もちろん彼女らの言う「かわいい」には、それぞれに違いがあるものとは思う。しかし、いくら素晴らしい感受性によって多彩な印象を感じたとしても、結果的にそれを「かわいい」という一語でしかアウトプットできないとしたら、それは日本人として悲しいことであると、私は思う。
そして、その一語だけのアウトプットは、いずれその人の感受性をも退化させてしまうのではないか。何を見ても、本当に、ただ「かわいい」としか感じることの出来ない感受性。そんな感受性しか持たない人間になってしまうのではないか。…なーんて不安を覚えたりもするのだ。
さてそこで、「へうげもの」主人公の左介である。
左介は武将でありながら、茶人である父の血を強く受け継ぎ、茶器のみならずあらゆる芸術品や"美"を深く愛する「数寄者」であった。
そんな彼の卓越した感受性は、作中でこんなふうに表現されている。

なんと艶かしい黒鉄の地肌…
なんと「のぺえっ」とした異形の……
いや「どぺえっ」か……!!?


「のぺえっ」或いは「どぺえっ」な名器・茶釜"平グモ"

な……なんと 五重塔天守閣……!!!
しかも漆黒の城壁に 金細工がふんだんに……
この「ズドキュッ」とした異様な迫力はなんだ……


「ズドキュッ」とした迫力の安土城天守

「輪違」の馬印は伊勢の名牧で育った証……
ギュッとしまった短腰にモカと出た複尻の馬相がまた良い……


「ギュッ」モカッ」が良馬の証し

貴方はこんな表現ができるだろうか?これぞまさに、卓越した感受性の成せる技である。
乏しい表現が感受性を退化させるのならば、豊かな表現は、貴方の感受性をより豊かにするであろう。とにかく表現することから始めるのだ。例えば、こんな風に。


「ズキュウウウゥゥゥゥン」としたネコ (参考:ジョジョ立ち教室)
偉大なり、荒木飛呂彦

*1:もちろんポロリとは、悔し涙の落ちる音である。もちろん!