理不尽な死に対する思い。

秋葉原で通り魔事件がありましたね。悲しい、そして許し難い*1ことです。
こんな事件があったりすると、きっとお子さんをお持ちの親御さんは「あなたも巻き込まれたりしないように気を付けなさいよ」なんて事を言ったりするでしょう。そして、その言葉を聞いたお子さんはこんな事を言ったり。
『気を付けろって言われても、通り魔なんて気を付けようがないよ。どうせ死ぬ時は死ぬんだから、しょうがないよ。』
別に家庭での会話じゃなくても、お子さんじゃあなくても、こういった考えを持った方は多いようで。悲しい事件のあった翌日には、こんな声を街でよく耳にするものです。
そんな声を聞くと、俺はとても、悲しいことだなぁ…と、思うのです。
俺は、死ねないんです。そして、死ねないことが、とても幸せなんです。
こっぱずかしい話だけど、目標と愛がある限り、俺は死ねません。俺は今、何人かの人をとても愛していて―それは片想いのあのコとか、俺を産んでくれた父さん母さんとかね―そして、その人達よりも先には、絶対に死なないと誓っている。それが俺の、人生の目標。それからもう一つ、俺は未だ自分の目指す職業にすら就けていない。いや、正確にはまだその"目指す職業"すら曖昧なんだけど。
うん。やっぱり、まだまだ死ねないよね。
こういう風に思って毎日を生きられるって、俺にとってはすっごい幸せなことで。誰かのために、自分のために、まだまだ死ねないぞ、って。そう思えない人たちのことを不幸だと断じたりはしないけど、でも、死ぬ時は死ぬだとかしょうがないだなんて言われると……やっぱり、それは悲しいことじゃないかなぁ。というか、悲しいよ、俺は。
俺の好きなあのコなんかは、早いうちに死にたいとか言っちゃうコだし…。俺と付き合っている時でさえもさ。
悲しいなぁ……。
とにかく、俺は死にません。まだまだ、死にません。まだまだまだまだ、死にません。俺のことが嫌いな人には非常に残念なお知らせですが、俺は死にませんから。そこんとこ、よろしくね。
今日もそんな、幸せな一日でした。

*1:何気なく「許し難い」という言葉を「許されないこと」という意味で使ったけど、この用法は適切なのかな?許すことは難しいけど、許す余地がある…といったニュアンスを含みそうな言葉に見えるね。絶対に、許されるべきではないし、許せません。一応、そう思ってますよと補足。